いのちの食べかたと人が人を蔑むということについて
肉はどこからくるのか?
牛は牧場にいる。豚は養豚場にいる。その肉がスーパーの売場にならびぼくたちの食生活を支えている。そんなことは誰でも知っている。でも牛や豚がどのように殺されて解体されるのか、どんな人たちがその仕事にたずさわっているのか、その過程について具体的に知っている人はきっととても少ない。テレビで紹介されることもない。森達也『いのちの食べかた (よりみちパン!セ)』にはその知られざる過程が書いてある。
牛のばあい、と場内のせまい通路に追い込まれ、1頭ずつノッキングペンという長さ3センチほどの細い針を眉間に打ち込まれる。この時点で牛は意識をうしなう。その直後に眉間に開けられた穴に長さ1メートルほどのワイヤーを一気に差し込む。まだ牛の心臓はうごいている。死んでない。差し込まれたワイヤーによって牛の脊髄は破壊されて全身がまひする。それと同時に首の下をナイフでざっくりと切る。頚動脈が切断されて大量の血がほとばしる。
ちなみにアメリカの食肉処理場では家畜用スタンガン(一種の空気銃)で牛を気絶させるようだ。詳しい描写はいびつなファーストフードの産業構造を暴いたエリックシュローサー『ファストフードが世界を食いつくす』に書かれている。アメリカで最も危険な職業と言われ、凄惨な事故も多発している。このだいじな仕事の多くが不法移民によって支えられている。改正移民法にたいするヒスパニックを中心とした大規模な抗議デモが行われたのは記憶にあたらしい。
差別と偽りの対立
『いのちの食べかた』に戻す。話は歴史的背景から差別問題におよぶ。中世の日本では死んだ牛や馬の肉の処理をまかされていた人たちがいた。「カワタ」と呼ばれた彼らは「穢れている」と差別され、集落外の人たちとのつきあいも制限された。この「カワタ」の身分の固定化が、やがて江戸時代の士農工商の最下層におかれた「エタ・ヒニン」として強化されることになる。
幕府は巧みに分割統治をした。序列では「エタ」を「ヒニン」の上に置いた。しかし上位の「エタ」は子孫代々その身分から抜けられないとした上で、下位の「ヒニン」は一定の条件をみたせば農民や商人にもなれるとした。エタは序列を根拠にヒニンを蔑視し、ヒニンは農民や商人にもどれることを根拠にエタより上だと考えた。おたがいに「あいつらよりはまだマシだ」という感覚を持たされて、身分制度はますます強固なものになっていく。蔑まれるから蔑む対象を人は探す。(P.88)
このような「偽りの対立」と似たような話が現代にないだろうか? 杉田俊介『フリーターにとって「自由」とは何か』にこんなことが書かれている。
現在の若者が就く仕事の内容は、おおざっぱな言い方をすると、労働条件が著しく厳しい正職員の仕事と、熟練技能の要らない短期で入れ替え可能な仕事へ二極分解が進んでいる。(中略)その「対立」は本当に本質的なんだろうか? それは単に限られたパイの奪い合い、ビーチフラッグ獲得競争の過酷化ではないか? 要するに「正職員かフリーターか」というしばしば見られる対立と批判の投げ合いは、核心を貫き損ねたニセの問題ではないか?
それどころか、相互に批判し敵対することで、ぼくらはいたずらに魂を消耗し、自分の能力や倫理感覚を高められず、不毛な憎悪や愚痴をまきちらし深めていく…。(P.55-56)
格差社会や勝ち組負け組という言葉が一般的になるなかで、その意味合いは就職や結婚、コミュニケーション能力などあらゆるライフステージを侵食して多くの偽りの対立と差別を生み出している。ちょっと立ち止まって考えてみたい。
ゆっくり歩こう。いろいろ悩みながら。いろいろ眺めたり、発見したり、ため息ついたりしながら。どうせゴールなんて、そんなに変わらない。『いのちの食べかた』あとがきより
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