久しぶりに雀荘のフリー卓で打つ
ふと、健康麻雀が気になって調べてみたら京都駅の近くにあることが判明。実際に行ってみることにした。幸い今日はそこまで熱くない。
雑居ビルの5階。エレベーターから降りたら卓が5つ以上立っており、20人以上のおじいちゃん、おばあちゃんでひしめき合っている。朝10時だぞ。ただフリー卓のようなものは見当たらない。オロオロしていたらオーナーらしき年配の女性が話しかけてきた。
「ひとりで来たの? ここは予約制だから一人だと打てないよ」
なんてこったい。
その後は雀荘のシステムについて長々と説明してくれた。曰く、点5でお金かける卓はあるのだが、25000点の30000点返しがふつうなのだがここは27000点の30000点返しでカンドラの裏はなしで赤5もなし。トップは3000円、ラスを引いても最大マイナス3000円だそうだ。ようするにギャンブル要素を少なくして長く楽しんでもらおうという方針らしい。
一通り話を聞いて友達を連れてきたら打てるんですねと聞くとオーナーはニヤリとして「友達連れて来てくれたら、あんたに他の友だちに内緒でお金渡すよ。サービスだよ」と言ってくれた。なかなか商売上手だ。
お礼を言って健康麻雀雀荘を後にする。このまま帰るのもつまらないのでふつうの雀荘に行った。フリーで打つのは久しぶりだ。
対面と上家は自分より年配のおじさんで上家は20代らしきお兄さん。5000円をチップに変えて半荘スタート。東場はお兄さんが連続で軽快に上がっていく。ぼくは放銃はなかったが2000点失った。
様相が一変したのは南2局。親の上家のおっちゃんがダマでお兄ちゃんから倍満を上がる。一切テンパイ気配がなかったので少しビビった。やや緊張していたのかドラの確認を数回忘れる。六萬がドラで⑥⑥⑦の形から早々に六萬を切ってしまう。しかしそれが功を奏したのか5−8萬待ちリーチするとすぐ対面から出アガリ。
親でドラの発をポンすると警戒されて全員ベタオリされる。さすがにフリーだと当たり牌は出してくれない。オーラスはトップの上家と1万点の差があって手の中には南と中が2枚ずつ。ホンイツにしたかったが配牌的に厳しいので鳴いて1000点のアガリで2着確保。どうにかプラスで終えることができた。
今日は昼の2時から接骨院の予約を入れていたので、1半荘だけで帰路についた。ふだんは友人3人と貸卓でわいわいやってるのだが、たまにはフリーで打つのも緊張感があって良かった。
トラブルについて
デイケアのメンバーの女性と少しトラブルになった。携帯でのちょっとしたやり取りが発端なのだが、どう考えてもこちらに大した非はないし、向こうの被害者意識の強さと僕に対する誹謗中傷は明らかに過剰反応だ。
まあ、心身ともに余裕がないからデイに通っているわけで仕方ない側面はある。こういうトラブルの時は相手方がデイケア内にトラブルを持ち込まなければ静観するようにしている。幸いトラブった女性は外面はいいのでその点についてはたぶん大丈夫。ようは無視すればいいのだ。
はっきり言って今回の件で僕はキレているのだが、それをデイケアメンバーやスタッフに告げる気はまったくない。こちらの立場を悪くする隙を与える危険性があるからだ。向こうが何かしら陰口を叩いていれば対抗するけれど。ただやっぱり腹の虫が収まらないので、まったく関係のない人に愚痴りまくった。
どこでも人間関係におけるトラブルは存在する。対処法は慎重に。万が一こちらの評判が悪くなるような事態になるなら、その時はその時。それなりのシミュレーションはしている。
バレンタインデー
今日はデイケアの誕生日会が午前にあった。誕生日会はデイのメンバー(患者さん)で誕生月の人をみんなでカレー作って祝うというプログラムで毎月一度行っている。
ただ、ここ3日間あまり食欲がないので午前は休んで五輪の男子スノーボード・ハーフパイプの決勝を見てのんびり過ごしていた。平野歩夢と王者ショーン・ホワイトの熱い金メダル争いを楽しんだ。
午後からデイケア参加。五輪の話になってスタッフに葛西紀明や高橋尚子と同い年だと告げると「若くみえますねえ」と言われる。これはデイケアで頻繁に言われることなのだけれど、どうやら実年齢より5歳以上若く見えるらしい。バレンタインデーということで50代60代の女性3人からチョコをもらった。年配受けは悪くないようだ。
帰宅すると市役所から封書が届いていた。先週申請した自立支援医療に関して住民税などの把握ができないので税務課に届けを出してほしい旨だったので、面倒だなあと思いながら市役所行って手続きを済ませる。
帰路に馴染みのカフェで一服して再帰宅。朝にトースト1枚と昼に菓子パン一つしか食べていなかったせいか、さすがに空腹を感じておにぎり1個とみそ汁で夕食をすませた。体を冷やさず大人しくしていたらいずれ食欲も戻るだろう。あとでもらったチョコ食べなきゃ。
うつ病持ちの仕事探し奮闘記
なんだかんだで2018年である。7年以上放置していたので現状の生活をつらつらと綴る。
うつ病を抱えての求職活動は厳しかった。とある工場でバイトで採用されたが、あまりに単純作業だったせいで耐えきれず3日で辞めた。郵便配達の仕事は半日だけ先輩にルートを教えてもらって、後は地図見て勝手に覚えてという感じだった。複雑なルートの区域だったので、まったく覚えられずこれも3日で辞めた。地図もわかりにくく夕焼けの中、カブを降りて呆然としていたことを思い出す。もちろん体調を崩した。
次に新聞配達に挑戦した。人手不足なのかどんな経歴の人でも採用してくれる感じだった。郵便局と違って2週間きっちり配達ルートを先輩社員さんが先導して教えてくれた。動悸が激しくなって最初の1ヶ月は辛かったが、どうにか最速で回れる程度には仕事ができるようになった。
ただ休みがほとんどなく不規則な生活になるため持病には不向きな仕事だった。その上時給が安い。例えば夕刊を配達するのに準備から配達区域に向かって販売所に返ってくるまで1時間半ほどかかるのだが、賃金は配達中の25分間分しか支払いがない。時給に換算すると500円で最低時給ラインを大きく下回る。皆勤賞でどうにか最低時給ラインを保障するのだがこのシステムにはかなりの疑問を持った。
さすがに嫌気が差して3ヶ月で辞めた。その後も色々と障害者求人向けの仕事を探してみたが良い結果は得られなかった。スキルを上げようと職業訓練にも応募したが、20人定員の所に100人以上の応募があったりしてそもそも受けられなかった。
というわけで、どうにもならないまま貯金が尽きるのは目前だったのである。
就職活動失敗その後
前記事 http://d.hatena.ne.jp/yodaka/20180212/p1 の続き。
もうどうにもならない。仕事が続かないし採用もされない。仕方がないので障害年金を申請したら、あっさり認められて支給されるようになった。月に換算するとだいたい6万5000円ほどである。実家暮らしなので慎ましく生活すれば何とかなる金額だ。実にありがたい。
ただ、障害年金は自分の場合は現況届けを1年ごとに役所に提出しなければならない。いつ年金が打ち切られるか分からないまま不安な生活は送りたくない。かといって仕事ができる状態でもない。
ということで、デイケアに通うようになった。少しずつリハビリして社会復帰するプランである。体力が凄まじく落ちていたので週2回ほどデイケアのプログラムになるソフトボールをするようになった。体力は少しずつ戻ってきた。
最初の頃は週2回午前だけの参加が限界だったが、少しずつ慣れて他のプログラムにも参加できるようになってきた。絵を描くのが得意なので写生や創作などのプログラムではスタッフに重宝されるようになった。ナイトケアというものもあるだが、こちらはスタッフと一緒に主にグループホームに入っている年配男性の料理を作る。人数はスタッフ含めて17人程度。けっこうきついのだが、料理の基礎も覚えられるし週1回は参加するようにしている。
デイケアのおかげで体調はかなり安定してきたし仲間もできた。統合失調症やアルコール依存症なと色んな人がいる。「この人、大丈夫なのか?」みたいな人でも必ず何かしら得意分野がある。コミュニケーションはやたら苦手だけど運動神経は抜群だったり、天然で場を和ませる事ができる人がいたり、運動はさっぱりだけどやたら漢字に詳しかったり。こういう人たちが活躍できる場がデイケア以外であればいいのにと常々思う。
精神疾患は誤解を受けやすいが大抵の人は優しい。平日はデイケアに週5で入れるようになった。睡眠障害でつらい時期もあるけど、今は比較的充実した日々を送っている。
失業者は夢を見るか
なんだかんだで11月である。
3日前にまたまた不採用通知を受け取った。今まで散々お祈りされてボディブローみたいに効いてたけど、今回の不採用はスッコーンとテンプルに打ち込まれた感じで呆然とした。なんだろう、この社会からまったく必要とされてない感。
気分転換に玄関先で外の空気を吸っていたら、笑顔で女性が近づいてきて「ストップ自殺!人生はやりなおせる」って書かれたパンフレットを渡された。幸福の科学だった。なんだこの絶妙なタイミングは。
宗教に助けを求める気持ち、今ならわかる。
体調は思わしくない。動けないというほどではないけど頭が重くて体が楽だなと感じる時がほとんどない。日々を過ごすことそのものがしんどい。病気があらゆる事の足かせになる。不採用つづきで仕事を探す気力も消え入りそうだ。