だめ連、ニート、男性性、スローライフ

思いつくままにリンクをいくつか。

//d.hatena.ne.jp/matuwa/20041206#p3">だめ連について:第三者による支援という形ではない自発的なたまり場としてのだめ連再考? 大都市という限定的形態。
//www5c.biglobe.ne.jp/~sugita/akane.htm">フリースペース・ムーブメントの可能性:だめ連的ではない「本当にだめな人」との交流可能性。
//www.mammo.tv/column/FujiiS/interview_2.html">男社会のジェンダー神話がいまだに男に擦り込まれている:男性の単一性と被抑圧者としての女性の多様性。
//www.syugo.com/germinal/review/0052.html">「人は女に生まれるのではない、女になるのだ」ボーヴォワール第二の性』:「抑圧することによって、ひとは抑圧されるようになる。男はまさに自分の支配権によって束縛されている」
//d.hatena.ne.jp/yasai/20041207#1102419988">多様性があるということは「決定的にラクな道がある」ということではない:多様な生き方ががあろうがなかろうがどのみち大変。

スローライフは)七〇年代に流行った近代批判の今様バージョン、全共闘世代のリベンジ・ゲームみたいなところがある。効率主義からの脱却だ、豊かさの見直しだ、伝統への回帰だとかいっているけど、結局それは金と時間と精神的ゆとりのある有閑階級の発想で、学生運動市民運動と流れてきた層が、老境に入ってたどりついた「癒しの思想」に思えてならない。

斎藤美奈子『物は言いよう』P.115より。スローライフへの違和感。