ウェブに公開するということ

「当事者・経験者ゆえにできる言語化」?
http://d.hatena.ne.jp/ueyamakzk/20050206#p2

政治的・社会的展開については、かなり孤立したものと言わざるを得ないのではないか。単純に言って、そうした独り言に「共感できない人たち」にしてみれば、それら「共感の共同体」の存在は無に等しいし、極めつきの社会的弱者の漏らす独り言は、孤立した単発の共感者を生み出すに終わり、「何か状況を変える」動きにはならない。

上山さんがそう言うのはわかるし、今の路線でぜひ頑張ってほしい。でもいいと思うよ。ネットの片隅でつぶやくだけでも。循環思考でもなんでも、他者に見られる可能性を持った文章を書くんだから、どうしたって他者の存在や自分の中の他者性みたいなものを意識する場面は出てくるんだし、それだけでも「状況を変える」布石になる可能性はあると思う。まあ、上山さんの「状況を変える」という言葉の意味合いと比べると自分はだいぶんミニマムな意味合いで使ってるけど、そういった地点から段階的に変えていくしかないと思う。

なんでもかんでも役に立つかどうかで判断するのは僕は嫌いで、「生の意味の重さ」、「言葉のもつ意味の重さ」みたいな所からもう少し解放されたほうがいい場面だって多々あると思う。たかがブログ。ブロガーの平均寿命というエントリーによると、三日坊主率は半数にのぼるらしいし、たとえば起床時間を淡々と記録するだけでも継続できれば立派立派。上山さんが唯一取り上げる必要性を感じたという切込隊長のエントリーだって締めの言葉は

思うことを書き記す、その行為一個一個は断片的でも、継続することで初めて見えてくる何かがあると思うのだが。

なんだしさ。