経済的自立について

暇。暇である。仕事がないとここまで暇をもてあそぶものなのか。昔はネットさえやってたら時間なんてあっという間にすぎていったのに。

今日、友人が新潟の工場の出稼ぎから4ヶ月ぶりに帰ってきた。彼女と一緒にむこうで働いていたらしい。工場を辞めたあと北海道に行ったらしく、貯金は10万くらいしか残らなかったようだ。わからん。旅で金つぎこむ人の気が知れない。

で、国保とか年金の話になった。自分は国保は父の扶養で、国民年金は母に払ってもらっている。うむ。経済的にまったく自立していない。しかし経済的自立をもって、自立が完了したと考えるのは短絡的である。だいたい父や母の世代と、自分のようなドロップアウトした団塊ジュニアでは、明らかに乗り越えられない経済的格差が存在する。

親にあるていど経済的負担を強いることに自分は恥じ入ることはない。世代間の格差是正の一環くらいに考えている。それより両親との精神的関係がどうであるか、その方が重要だ。その点は非常に健全だし、どんなことでも腹をわって話し合うことができる。お金に関することもどちらがどの程度負担するか、それこそ交渉しだいだし、親と対等の立場にわたりあえるならそれでいいのではないかと思う。