仕事 父の場合

父は昭和40年代初頭から平成に至るまで、民間の重症心身障害児施設で施設職員として働いていた。働き始めた頃は国や地方からの補助などほとんどなく、民間からの寄付でまかなっていたらしい。父の月給は当時の大卒初任給が1万3000円代の時代に2000円。「ボランティアみたいなものだった」と父。今とちがい福祉職でまともな人生設計などできなかったらしい。

どうにか生活できたのは、施設の寮で暮らしていたため家賃や光熱費を負担する必要がなかったからだ。それでも生活はぎりぎりで職員も1〜3年のサイクルでどんどん辞めていったらしい。父の楽しみと言えば半年に一回の映画鑑賞くらいだったようだ。

その後高度経済成長の福祉拡充期を背景にして、国や地方への度重なる予算獲得のための陳情と「給料を公務員並に」というスローガンの元に活発化した労働運動もあって、施設に大卒者が入ってくるようになったこの時期に給料はぐんぐん上がっていったらしい。ちなみに父は中卒で、この頃に大卒の母と周囲の反対を押し切って職場結婚しその後自分は生を受けることとなる。