だれにとっての宿命論か?

想像の力
http://blog.tatsuru.com/archives/001089.php

だから、想像力の豊かな人は、どのような人生を選んだ場合でも、そこに「宿命の刻印」を感知する。
自分がいまいるこの場所が「宿命が私をそこに導いたほかならぬその場所」であり、自分のかたわらにいる人が「宿命が私をそのかたわらに導いたほかならぬその人」であると信じてしまう。
そういう人は幸福である。

強い想像力と弱い想像力の違い。そのくだりはおもしろい。おもしろいがゆえに「宿命」を受け入れる人は幸福である、という結論にも同意……しかけたのだが、なにかひっかかる。と、そこで思い出したのが以下のエントリーだった。

自己ならざる自己の呼び声――『ヒミズ』と『シガテラ
http://www.asvattha.net/soul/index.php?itemid=432

むろん、そうではないのだ。キーワードになるのは、おそらく「宿命」ということだろう。住田の呼び声は言う。「決まってるんだ」と。抗いようがないこと、自分の人生がオマケでしかないこと、そのことを他人のせいには、もはやできないこと。そうしたことが自明すぎるほど自明だからこそ、住田も荻野も、自身の「宿命」を告げる呼び声との葛藤を続ける。