ほんとうに女が働くと出生率が上がるのだろうか

女性の勤労率が高い国ほど出生率が高い。現代版「産めよ増やせよ」には、女性の勤労率を上げればいいんである。
「女が働くと出生率が上がる」
http://www.chikawatanabe.com/blog/2006/06/post_2.html

女性の働く率が高い国ほど出生率が高い。ほんとうにそうだろうか? グラフに引かれた直線をはずして眺めると、データにはかなりバラつきがあるようにも見える。じっさいここに記載されていない他の先進諸国を加えて女性の労働力率出生率を比較すると、この相関関係がかなり怪しい、と考えることも可能だ(参照:赤川学子どもが減って何が悪いか! (ちくま新書)』)。

女性の労働力率合計特殊出生率
http://www.gender.go.jp/danjo-kaigi/syosika/houkoku/honbun1.pdf

ここに24カ国で比較したグラフが載っている。ここでも女性の労働力率出生率には正の相関があると解説されているが、先の11カ国でのデータと比べてもかなりのばらつきがあることがわかる。この24カ国のグラフに対してHiroshi Yokoyama's Opinion: かすむ実像:男女共同参画社会 (その1)のなかで疑問が投げかけられている。

対象国の選択の問題には目をつぶるとしても、各国の属性が全くコントロールされずこれほどばらついたデータから、直線関係を引きだすのは、基本的な誤りを犯しかねない乱暴で粗雑なやり方に思われる。

このエントリーや赤川学子どもが減って何が悪いか!』で語られていることは、男女共同参画が時に粗雑なこじつけのもと、少子高齢化とセットで無矛盾に推し進められることへの違和だ。

そういった目で、先に引用した男女共同参画社会の定義を見直してみると、それを作り上げた人々の多様な思惑が見えてくる。「男女が、社会の対等な構成員として..中略..共に責任を担うべき社会」という下りは、「女も男と同じように働いて税金を納めろ」というメッセージであり、女性を埋もれた労働力とみて、少子高齢化対策の尖兵にしようという、経済界や政界に流布している考え方のあらわれであろう。もともと、既婚女性の専業主婦化は、戦前の農村社会から、都市・産業・核家族中心の社会への過渡期において、戦後の高度経済成長を支えたエコノミックアニマルと呼ばれた男性サラリーマンの終身雇用、長時間労働、企業への忠誠心の高揚を、表面的なコストをかけずに支えるものとして、国策的に誘導されてきたものであることを考えると、少子高齢化という社会変化を契機として視線が180度回転したとしても、それが女性の基本的人権という高尚な理念から発したものとは、にわかには納得しがたいものがある[3]。
Hiroshi Yokoyama's Opinion: かすむ実像:男女共同参画社会 (その1)

男女共同参画少子高齢化対策は、はたして日本社会にとって幸せなカップリングとなるのだろうか。結果としてそうなるかもしれないし、そうならないかもしれない。個人的には特定のライフスタイルが過度に称揚されるような方向に進むことなく、問題が緩和されていくことを望む。