引きこもりだったあの頃

僕は、はてなダイアリーを創成期から使っている。そのあいだに2回IDを変えた。いまのid:yodakaは三つ目のIDとなる。

最初のIDでは映画鑑賞の感想を中心にしたかるい日記だった。2回目のIDは、「引きこもり」をテーマに選んだ。それは自身がまさにそのとき引きこもっていたからだ。精確に言うと半引きこもり・半ニート状態だった。ただ、まだそのころニートという言葉は流通していなかった。

だから、「社会的引きこもり」という言葉は、自分の負のアイデンティティーの核として鎮座し、解決すべき最重要事項だった。

哲学や社会学や仏教に傾倒しかけたこともあったが、それらが自分を救う術でないことは明らかだった。

とにかく引きこもりを哲学しても仕方がないと思い、理論より実践だと考えた。日記における実践とはなにか? まず引きこもるまでの過程を詳細に日常のことばで書きつづった。いま考えると、よくもあれだけ自分の個人情報をネットにさらけだせたな、と思う。

次に引きこもりからの脱出方法を模索し、解決する過程をつづって、たまたまそれを読んだ読者のひとりでもいいから、参考になればと考えた。しかし引きこもりという重いテーマにしぼって、書き続けることはかなりの苦痛と閉塞感を要した。

脱出できない。引きこもりからの脱出がテーマだったのに、思うように事が進まない。挫折した。そしてIDを変え、いまの雑記スタイルになった。今はもう引きこもりではない。しかし、20代後半のほとんどを引きこもりとして過ごしたことをなかったことにはできないし、その過去とその後に起きた失恋や鬱病は無関係ではない。

いつか自分の引きこもり体験を総括したい。できるかどうかわからない。でもふとそんな衝動にかられることがある。