崖の上のポニョの存在の耐えられない重さ
もう『崖の上のポニョ』を映画館で観てからけっこうな日にちが経ってしまった。かなり記憶がおぼろげになっている。まあとりあえず感想を記しておこう。
ポニョが魚の子ということらしかったので、まっさきに『ファインディング・ニモ』を思い出した。魚を擬人化させた海の世界という点は共通しているけれど、ポニョとニモではまったくちがった世界観がくりひろげられている。
あくまで人間と魚とのあいだに存在する種のちがいを越えることのないニモとちがって、ポニョの世界はたやすくその境界線をのりこえて曖昧なものにしてしまう。魚が人間よりか弱い存在であるという前提で、擬人的な家族愛や友情を描いたニモとちがい、ポニョは遥かに人間を凌駕するおそろしい存在だ。
海面がうねり陸地をみるみる飲み込んでいく様は、ふつうならニューヨークが大津波で海に沈んだり、隕石が地球に落下して人間が死から逃げまどうような王道のパニック映画になるはずだけれど、そうはならない。日本のどこかにありそうなのどかな港町はどこまでもあっけらかんとしている。
魔法にかけられたポニョの海は、ちょっとありえないような粘性、粘り気のようなもを感じる。なんだかとろ味がある。とろ味はやさしい。そこにデフォルメされた現実のリアリティとはすこしずれたまったくの異世界のリアリティをふくんでいる。
とまどいはある。ナウシカもラピュタもトトロももののけ姫も千と千尋の神隠しも、現実的な人間の営みと幻想的な異世界とのラインが明確だった。そこから生まれる対立や融和にワクワクする。ポニョも一見するとその系譜になぞらえてもよさそうだが、そのラインがどこか曖昧だ。
魔女の宅急便や紅の豚のように、魔法使いや豚を主役に据えつつ現実世界に極力なぞらえたものでもない。とは言っても現実の家族像をちゃんとトレースしていたりもする。でもなにかがちがう。なんなんだろうかこのむずむずした感じは。
ポニョはソウスケに一途で人間になりたいと願う。ソウスケは金魚だと思っていたポニョを子供なりにうけとめる。うけとめるんだけれども、金魚じゃない人間の女の子を一生受けとめていく覚悟、その違いをよくわかってないように見える。
とりあえず、捨てられた子犬や仔猫を子供がたいした覚悟もなしに家に連れ帰って親に「この子飼いたい!」と訴えたら「ポニョみたいな大変なことになるかもしれないよ。その覚悟ちゃんとあるの?」と諭す、という教育効果は期待できそう(笑)少なくともニモ効果によるカクレクマノミの乱獲といった事態はポニョにおいて起こらない気がする。怖いもんねポニョ。
いまはとりあえず「ポニョかわいいねー、あはは……」ですませているのだけれど、妙にエネルギッシュでかつ脱力な曖昧模糊とした気味の悪い作品であることはたしかだ。必見。