秋の到来

yodaka2004-10-23

いつも通る保津川ぞいの道は台風のせいでいまも通行止めだった。旧道にもどる途中、道のかたわらで車にでも轢かれたのだろうか、たぬきがぴくりともせずに横たわっていた。そばに寄ってみると首のあたりにちいさな円をえがくようにウジが無数にわいてうごめいていた。広島の原爆を連想した。

図書館にたちより、佐藤忠男の『見ることと見られること―佐藤忠男評論集』にぱらぱらと目をとおす。「見ること/見られること」。メディアを通じて、他人が自分と共有できる感性を持っていることを確認し、安心する。素人番組の隆盛。地域社会が消失したあとのメディアを通した日本全体という地域社会。または孤独。人は「見守られる」という感覚が欠如することで孤独におちいるのだろうか。

祭りのお囃子が旧町にながれる夕暮れ。まだ日は照っていたがずいぶんと冷え込んでいた。ずっと座布団のうえで寝ていた愛猫もとうとうふとんのなかにもぐりこんでしまった。冬を予感させる本格的な秋の到来だ。