自立をイメージする

自立とは何か(内田樹の研究室)
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ひとことで言えば、それは「自分がどのような依存関係に含まれているかを俯瞰できる知性を持つ」ということである。奇妙に聞こえるかも知れないが、「自立」を基礎づけるのは、「自立」という個別的な事実を宣言することではなく、「依存」という包括的な関係を意識することなのである。

先日の日韓ひきこもり会議のなかで宮台氏は、ひきこもりや不登校児は「社会」というもののイメージがまじめで単一的なのではないかとして、ある種の不真面目さをもつこと薦めていた。「自立したい」という当事者の願いには切実なものがあるが、その自立のイメージが単一かつ硬直的であるならば、問題解決の障害として立ちふさがってしまうのは、自身の経験からしても納得のいく所だ。それは「自立しろ」と迫る親や社会の側の自立イメージの貧困さが大きな要因であるかもしれない。

コミュニケーションなるもののイメージもどうだろうか。斎藤環氏は、コミュニケーションはスキル(=技能)として、あたかも勝ち負けの判断基準のように単純に測定できるものではない。そういった昨今過大評価されるコミュニケーションスキルがひきこもりの遠因であるかもしれないと推察し、それを受ける形で高石氏も、求められすぎるコミュニケーションスキルを、他の能力とのなかで相対化する必要があるのではないかと語った。