働かない人びとにまつわる議論

ニートにまつわる議論
http://d.hatena.ne.jp/kataru2000/20050130#p1

id:kataru2000さんのエントリー。社会には「遊び」の部分も必要では? という意見。

社会にはギア同様「あそび」の部分が必要だし、実際それがずっとあったんじゃないかと言うことです。鴨長明の隠遁生活、托鉢僧、落語の若旦那、ご隠居、与太郎、浪人、明治文学の書生、居候、高等遊民、映画に出てくるやくざ、テキ屋香具師、博打打ち、渡世人、60〜70年代のフーテン、ヒッピー。みな今考えればニートな人びとではないでしょうか。まあ当時も困った人達だなくらいには思われていたでしょうが、共同体から追放するというのは穏やかじゃないと思います。

それを受けたおやぢさんのコメント。

結論から言えば「働かなくてもいい自由」は、少なくとも今の日本にはないと思います。自由には責任とモラルがつきもので、「働かない」という考え方はこれに反するのではないかと。それでもこの自由を主張するのであれば、それ以外の多くの権利を放棄すべきです。
大体、今働いていない人達を支えているのは、親などの自分以外の何かです。規模の大小こそあれ、既得権益に執着する官僚達や問題先送りの政治家、いい加減な経営者と構造的には何らかわりありません。これを良しと考えるのは、私には難しいです。

お互い理性的で相変わらずおもしろい。ところで正社員はそういった既得権益に執着してないのかな。正社員の待遇を非社員の安価な労働力が下支えしている部分もあるんだけど。ニートニートで就労意欲のある人の雇用の場を奪わないという意味ではけっこう道徳的じゃないかなあ、と言ってみるテスト。