男を軸にしたM子の自己価値観

昨夜知人のM子から久しぶりに電話がかかってきた。仕事先で出会った取引先の男に誘われ、明日会う約束をしたのだが緊張して寝つけないという。彼女には昔からこの手の話が多い。遊んで誘われるままに男の部屋に泊まってやられそうになったとか、やられたとか。今回もまあたぶん似たような話だ。

やさしい彼氏がいるんだからその手の誘いに乗らなくてもいいじゃん、と諭しても「リハビリしないといけないから」と言って聞かない。M子の彼氏は女の外見にまったくこだわりがなく、どちらかと言えば人間として彼女のことを好いてくれている。でもそのことが彼女の自己評価につながっていない。

「男なんて穴さえあいてたら誰でもいいんでしょ」というのがM子の男に対する価値観だ。誘ってくる男はどいつもこいつも体目当てであたしのことを本気で好きなわけじゃないと。だったらなんでそんな誘いに乗るの? と素朴な疑問が湧く。そこには相反した欲求が潜んでいる。女として、他の誰でもなく最優先に愛してほしいという気持ちと、女として見られたくない、下心なしで付き合ってほしいという気持ち。

M子は自己価値の軸を言い寄ってくる男の評価にゆだねている。特別な技能も資格もなく短期のバイトで食いつないでいる彼女は将来に大きな不安を抱えている。彼氏も資格勉強中でいまはフリーターだ。結婚もいまは考えられないと彼氏に言われている。彼女には自信というものがまるでない。男を自己評価の軸に据えるのをやめたら? と言ったら「だってそれが一番手っ取り早いじゃん」と即座に答えた。

自己価値の源泉は他者との相互承認をとおしてしかありえないという近代の残酷。しかしM子の根底には男に対する不信がある。「寝つけないから」とか「さみしいから」といった理由でこうやって好きでもない男に気軽にメールや電話をする彼女には隙があると見られるのか、くだらない男から口説かれるケースも多い。明日のデート以外にもまた別の男の部屋に泊まる約束をしているという。

「リハビリしないといけないから」とM子はくりかえす。

でさ、それほんとうにリハビリになってるの?