ともだちとは何であるか

ここ最近、厳密に言えば昨日から軽い女性不信に陥っている。話の詳細はここには書けないが、昨日あった出来事で派生的に浮かびだした思いがある。いわゆる友達について。いや30過ぎて「ともだち」なんて言葉を使うのは、幼稚で恥ずかしい。「友人」にしておこうか。まあどっちでも意味合いに大した違いはないから「ともだち」でいいか。

で、歳を取れば取るほど、10代から20代前半の学校生活のなかで育まれるような「ともだち」は出来にくくなる。というか、まったくできない。日記に書くときは便宜的に「ともだち」もしくは「友人」と表現することはあるが、あくまで他にうまい言葉が見つからないだけだ。

NPOに自分は20代後半から色々な立場で6年ほど関わり、さまざまな人と出会ったが「ともだち」もしくは「友人」と無邪気に呼べる人は一人としてできなかった。まあともだち作りを目的に関わったわけではないので、別にそれはいいんだけど。

「知人以上ともだち未満」。こう呼べる人は幾人もいる。ただ人間関係にはさまざまなパターンが無数にあって、ともだち>知人以上ともだち未満>知人、というような単純な序列の話ではない。知人としか呼べない人が、人生において非常に重要な役割を果たす事もあるし、「ともだち」だと思っていた人が不幸をまねくということもありえる。いや、こういうカテゴリ分けがそもそも無意味な気さえしてきた。

なにか今日の文章は病んでいる気もするが、とにかく「自分の人生から消えてほしくない」。そう思える人はたくさんいる。「ともだち」かそうでないか、なんてそもそも無意味な問いかけなのかもしれない。いやはっきり無意味と言える。

つーか、酔ってるな俺。酒飲みながら書いてるしな。嫌なことがあったんですよ昨日。でなきゃ、こんな恥ずかしい文章ブログに書けるかっつーの。