ハゲていく日常

昨日、散髪帰りの父が俺にむかって「お前もだいぶ薄くなってきたから、散髪屋には3ヶ月に1回くらいで充分になったやろ?(笑)」と先制パンチをいきなり背後から打ってきた。とりあえず「じゃかましいわ!」で一蹴した。つーかハゲのほうが頻繁に刈らないとみっともないと思うのだが。

ということで、今日のテーマはハゲ。なかでも若ハゲについてである。

初めて自分の毛髪量が減っていると気がついたのは19歳のころだ。雨に降られてずぶぬれでトイレにかけこんだときに、トイレの鏡をふと見ると、「あれ? おれの髪の毛、こんなに密度が薄かったっけ?」と気づいた。まさに発見してはならないパンドラの箱に出会った瞬間である。

しかしこの頃はまだ他人の目から見ればふっさふさだった。しかし遺伝と時の流れというものは残酷なもので、20代の後半に差し掛かる頃には、明らかに額から髪の毛が後退しはじめ、髪の毛全体の密度も薄くなっていた。

育毛・発毛業界ではハゲのことを「薄毛(うすげ)」というやんわりした表現をする。しかしどう言い方を変えようがハゲはハゲである。「あれ? お前ハゲてきてるんちゃうか?」と友人に初めて指摘されたときのショックは今でも鮮明におぼえている。なんとか平静を取り繕うとしたが、あれは大地がゆれるほどの衝撃だった。

10代から20代にかけて、自分は容姿に関してコンプレックスの塊だった。毛深いことやファッションセンスとか、ありとあらゆることで外見にまったく自信が持てなかった。なにせ内面はまったくの未成熟だし、勉強ができるわけでもないし、経済力があるわけでもないし、体力もないし、面白みのある会話ができるわけでもない。とにかく異性に誇れるものがなにひとつなかった。

そこへもって若ハゲという特大のおまけがついてきたわけだ。できん。彼女ができん。そう思った。

育毛剤を使ったり、発毛クリニックに通ったこともある。断言しておくが自力発毛を謳っている業者は、すべて詐欺師集団だと考えたほうがいい。大々的に広告を打ち、いかにも若ハゲが不健康な生活を送った者の結果責任であるかのような表現を使い、人のコンプレックスを刺激することによって、営利をむざぼる大悪党である。

30もなかばに差し掛かろうとしている今、多少は内面も成熟し、外見に対するコンプレックスは大幅に解消された。だっておっさんだもん仕方ないじゃん。ここで開き直らないとどこで開き直るんだ。

それでも坂本龍一や、自分と誕生日が一日しか違わないキムタクのフサフサぶりを見ていると、若干「世の中は不平等だな……」と思わないわけでもない。

で、異性に関しては、まだ傍目にはハゲとは断言できない若ハゲ前期には3人の女性と付き合い、明らかにお前ハゲじゃん、という若ハゲ後期でもどうにか2人の女性と付き合う事ができた。

この若ハゲ後期の彼女たちは、「彼氏の髪の毛が薄い」という事態に対しては一度たりとも会話のなかで触れることはなかった。きっと気は遣ってくれていたんだと思う。まだまだガキの若造の男どもは無邪気に「わーいハゲハゲ!」とからかってくるが、精神的に別段痛くもかゆくもない。ネタにしてくれて大いにけっこう。楽しく行こうぜ。

ただ、長らく会っていない知人や同級生で、ふさふさの頃の自分しか知らない人と会うとなれば、ちょっと微妙な思いもある。

なにはともあれ、カツラをかぶったり、横の髪の毛をむりやり右から左へ、左から右へとぐわーっともってくるような「すだれ髪親父」「落ち武者ヘアー」にだけはなりたくない。男なら包み隠さずびしっとハゲようぜ、というのが自分的ハードボイルドである。なんかすげえみみっちいハードボイルドだな。