働かないって、ワクワクしない?

ちょっとしたことがきっかけで軽い鬱におちました。早く薬の量を減らしたいと願い、ここまで1ヶ月以上順調だっただけに「また振り出しにもどったか……」と落胆しています。

きっかけというのは、とある女の子*1からの1通のメールの一文でした。

その子とは引きこもり支援の某NPOで出会ったのですが、どうやら人間関係のもつれから、そのNPOに出入りしにくくなったようなのです。僕は引きこもり当事者でもなく、スタッフでもないフリーな立場で、気楽にそのNPOにいまだに出入りしているですが、彼女も似たような立場で関わっていました。

ただ、元ひきこもり同士と言っても、彼女のほうが内面にかなり引きこもりの当事者性を残していました。それで3月の初めからこの7月の梅雨どきまで、断続的にケータイのメールや直接会って相談に乗っていました。

僕は金がからまない限りにおいて、他人の相談の聞き役にまわるのがわりと好きであることと、そのころ仕事がなかなか入らず暇を持て余すことが多かったので、ひまつぶし兼茶のみ友達でもできればいいかな、と思ってわりと気楽にNPOとの仲介役として、その子の悩みに時間を割いていたのです。

やがて彼女は仕事を見つけて、「もう一度、某NPOに関わりたい」という思いが徐々にというか、こっちが気づかないほど一気に薄らいでいきました。それは大いにけっこうな事なのですが、そういう状況を把握できなかった僕からのちょっとした過干渉(彼女のケータイが繋がらなくなったので、予告もなく自宅のほうに電話をかけた事)がもとで、彼女との関係が急速に悪化しました。

よだかさんが何を私に求めているのかわからない」と言われ、メールで謝罪し「茶のみ友達でもできればいいかな」と思っていたことを告げました。すると翌日彼女から返信があり、その中の一文がかなり的確だったので軽いショックを受けたのです。

その内容は「よだかさんは暇になると不安になるんだと思う。他人とのおしゃべりは一時的な安楽をくれるけど、それはモルヒネを打ち続けてるようなもので、そんなことをしていると他人の尊敬を勝ち取れなくなると思う」といったものでした。

なるほど! と思う反面、異性の友人をつくるのは、お互いにリスペクトしあう部分がないとなかなか続かないものなんだなあ、とすこし落胆しました。

で、今のじぶんの仕事状況というのは、たった一人のクリエイターさんしか伝手がなく、このクリエイターさんというのがまたハードワーカーで、日曜を完全休養にあてないと過労死すると言うほどなのです。同じフリーランスでありながら、まだかけだしの僕にとっての命綱は、彼女だけです。

クリエイターさんがもし倒れてしまえば終わり。すげえハイリスク・ローリターンなわけです。彼女が仕事をふってくれる時は急に忙しくなり、そうでないときは本当に何もする事がないのです。その落差にとまどっているのが現状です。

でも僕は彼女のようにハードワークが常態化すれば、まちがいなく心身ともにつぶれてしまいます。だからアーニー・J・ゼリンスキー著/三橋由希子訳『働かないって、ワクワクしない?』なんて題名の本に興味をそそられて買ってしまうわけです。これは僕が毛嫌いしている自己啓発書のたぐいですが、本書は別格で、僕のような人間にはとても示唆に富んだ教訓を与えてくれます。

働かないって、ワクワクしない?

働かないって、ワクワクしない?

*1:一般的に知人以上の年下の女性を、僕は30歳であろうが5歳の子供であろうが「女の子」という表現を使います。別に女性一般を見下しているわけではありません。「女性」や「女」では表現が硬いし、他に適当な表現を知らないだけです。