自分・他人への配慮としてのケア

  • ケア[care](大辞泉
    • 1 注意。用心。
    • 2 心づかい。配慮。
    • 3 世話すること。また、介護や看護。

自分中心、自分勝手。他者を考慮に入れない一般的なエゴイストイメージと、「人は皆エゴイストである」という心理的利己主義についての考察。⇒利己主義 - Wikipedia そのことによって一体誰が得をするのか? という問いかけ。「得」とは何か? 得=幸福。

南北戦争と奴隷解放

  • 働き、自立せよ、依存するな、が北部の労働観→労働による自由。賃労働へのかりたて。黒人の奴隷から産業労働者への改変
  • 南部の言い分→奴隷に自由はないが、衣食住は保証される。北部のそれは最低保証もない賃金奴隷への組み替えにすぎない

ソクラテスは閑暇を人間の所有物のなかでいちばん美しいものとして賞揚していた。つまり「暇こそ最高」。ソクラテスにとっての自由とは労働からの自由→労働は奴隷にまかせる→奴隷所有を肯定。南部は古代ギリシアの考えに近く、北部は産業資本主義に支配されている。農業中心の南部と工業中心の北部の産業構造の違いがもたらした白人同士の対立。奴隷解放後に強まった黒人蔑視。商品経済を絶対視した自由労働と自立概念がもたらす労働と自立の強制という逆説。

ミニスカートとエロティシズム

yodaka2005-04-17

街中を歩いていると、つい若い女性のミニスカート姿に目をうばわれる。じっと見ていれば変質者あつかいされるので、無関心をよそおいつつちらっと目をやる。もっと見たいが見られない。ここに強い葛藤がうまれる。

以前、ワタナベ先生がバタイユの『禁止が欲望を生む』という言葉を引用して、「がまんすればするほど欲望が高まる」という欲望のメカニズムの一端を説明した。たとえば不倫や浮気はその行為そのものではなく、禁止を踏みこえるときに快楽がクライマックスに達するという。

道の往来で女性のミニスカート姿をじろじろと見るという行為は、犯罪ではないものの社会道徳に照らし合わせるとやはり禁止されるべき行為として多くの人の意識に共有されている。ミニスカートを見るという行為には禁止を踏みこえたときの快楽がふくまれている。

また、ミニスカートは「見えそうで見えないパンティ」という構造を作り出す。ジーンズのように完全に衣服に覆われて見ることが不可能というわけでもなく、パンツ一丁のようにどこからでも見ることができるわけでもない。「いつでも手に入るモノ」でもなく「まったく手に入らないモノ」でもない。つまりミニスカートという構造がパンティの希少性を高める役割を果たしているのである。ミニスカートによる「パンティのブランド化」と言い換えてもよい。

なぜあれほどにミニスカートが気になるのか? それは単純な女性の肉体に対する欲情だけでは説明できない。そこには「禁止による欲望の高まり」と「パンティのブランド化」という心理的な仕掛けが作用しているのである。