先入観を持つな、という先入観

昨日、「偏見や先入観にとらわれるべきではない」というようなことをある席で述べたが、今考えるとあれは有効性に欠ける空疎な正論だったように思う。他者と接するとき、人はその人の履歴や肩書からなんらかの偏ったイメージを持たざるを得ない。限られた情報のなかで、目の前の相手に何らかの漠然としたイメージを作り上げないと、次の行動を予期できず、他者は暗黒に包まれてしまう。

他者とコミュニケーションをはかるとき、こうすればこういう反応が返ってくるのではないか、というような漠然とした予見が含まれていないと、おちおち話しかけることもできない。先入観は積極的に持ちつつ、意外な反応が返ってきた場合にそれまで自分が抱いていた先入観と照らし合わせて、他者イメージを徐々に作り変えていく作業が大切になってくる。

「偏見や先入観にとらわれるべきではない」という心掛けそのものが一種の先入観として機能すると、そのズレを認識できないまま、自分で意識もしてないような潜在的先入観を温存させてしまう危険性が生じる。「○○さんって、思っていたイメージとだいぶ違うね」というような会話は日常にありふれている。ごく近い未来を積極的に予見し、予見がはずれたときには自分が持っていた先入観とのズレを意識しつつ、イメージの修整を柔軟にはかるほうが実際的だろう。