リスクと希望

たとえば結婚をするか否かという決断を迫られたとき、将来の結婚生活に対して「リスク」に重点を置いて考えるか、「希望」に重点を置いて考えるかでたとえ結論が同じであっても、その思考の過程はずいぶんと違ったものになるだろう。

特にこれといった夢も希望も持たずに不況下でフリーターからニート、そしてNPOスタッフという変遷を経てきたなかで、自分の課題は常に今現在と将来に対する「日常生活上のリスク」をいかに分散もしくは軽減させるか、ということでそれは今も変わらない。

ソーシャルキャピタルのような経済的資本以外の部分を資本と捉える新しい概念を視座に置いたならば、フリーターやニート(またはひきこもり)はそういった資本を得る機会が決定的に不足している。「とにかく働け」だけでは経済的側面以外でのリスクが潜在し続けるだろうし、ある程度リスクを解消しないうちは希望も生まれない。逆に言えば、社会的ネットワークの中でそのような資本を蓄えられれば、多少の経済的不安があっても乗り越え可能だし、将来に対しての希望が生まれることもあるだろう。

個人が個として自立するという事は、場合によっては個が個として分断されていく過程でもある。そのリスクを金銭面だけで解消していくことは困難を極めるだろう。フリーターやニートにおけるリスクは、経済面にとどまらずそれ以外での社会的資源にアクセスする機会がないとか、ソーシャルスキルを磨く場がないといった二重のリスクを背負っていることにある。