時間と狂気

「天気もいいし、ちょっと外出がてら職安でも行ったら?」と昼すぎに彼女からメールが入る。心配してくれるのはありがたいが、近所の公園じゃあるまいし、気分転換にぷらっと寄る場所として職安ほど似つかわしくない場所もないと思う。

まあ約束は約束なので、バスでハローワークに向かった。目的のビルを見つけて入っていく間に、鉄ゲタでも履いているのかと思うほど足取りが重くなる。

まともな職歴も積まずに年だけ重ねた自分にとって、求職行動の最初の段階ですでにかなりみじめな心境に陥る。自分の過去にたいする罪悪感さえおぼえる。今までもう取り返しがつかないほど時間を無駄にしてしまった。それにしてもなにがハローワークだ。もうぜんぜんハローじゃない。求人一件一件が耳元に「ノー」とささやきかけてくるんだから。

マイナス思考をふりはらって、とりあえずパソコンで求人検索。5万件の求人から「経験不問」と絞込み検索をかけたら、なんと残った求人が300件。一気に萎えたので、窓口相談もせずに1時間弱でハローワークをあとにする。チキンだなあ。

徒労感だけを手土産に、ドトールでアイスコーヒーを頼んで一服。見田宗介社会学入門―人間と社会の未来 (岩波新書)』に目をとおしていると、「時間」に関する記述が目を引いた。曰く、時間を「使う」とか「費やす」とか「無駄にする」とか、お金と同じ動詞をつかって考える習慣は「近代の精神」らしい。タイムイズマネー。

遠くから自分の社会を見る、という経験のいちばん直接的な形は、異国で日本のニュースを見る、という機会です。ある朝、小さい雑貨店の前の石段に腰をおろして「午前」のバスを待っていると、新聞売りの男の子がきて「日本のことが出ているよ!」という。日本のアゲオという埼玉県の駅で、電車が一時間くらい遅れたために乗客が暴動を起こして、駅長室の窓がたたき割られた、という報道だった。世界の中にはずいぶんと気狂いじみた国々がある、という感じの扱いだった。ぼくはその中にいた人間だから、朝の通勤時間の五分一〇分の電車のおくれが、ビジネスマンにとってどんなに大変なことか、よくわかる。分刻みに追われる時間に生活がかけられているという、ぼくにとってはあたりまえであった世界が、<遠くの狂気>のようにふしぎな奇怪なものとして、今ここでは語られている。

近代社会の基本の構造は、ビジネスです。business とは busyness、「忙しさ」ということです。「忙しさ」の無限連鎖のシステムとしての「近代」のうわさ。遠い鏡に映された狂気。ぼくはその中に帰って行くのだ。

見田宗介社会学入門―人間と社会の未来 (岩波新書)』 P.33-34