梅田望夫『ウェブ時代をゆく』を読んだ

梅田望夫ウェブ時代をゆく ─いかに働き、いかに学ぶか (ちくま新書)』を読了。『ウェブ進化論』より断然良かった。

ネット以前の自分

僕は高校卒業後、工場で昼勤夜勤を一年ほど繰り返しながら学費を貯めて、デザイン専門学校のイラストレーター科(夜間部)に入学した。まだパソコンもまだまだで、ネットなんてまったく普及していない時代だった。在学時も朝早くから夕方までバイトをして、夜、疲れた体を引きずりながら学校まで通った。帰宅はいつも深夜に及んだ。

いざ就職活動時になったら、待っていたのは就職氷河期だった。中学生くらいの頃は世の中バブルで絶好調だった。中学生だった自分にバブルの狂騒なんて関係なかったけれど、「いつか大人になったときはあんな世界に飛び込んでいくんだろうなあ」と漠然と考えていた。

ところがいざ就職となったとき、バブルは弾けていた。何十社と今年は新卒採用があるか問い合わせたが、ほとんど新卒採用を見送るという回答しか得られなかった。そこで心が折れた。

新卒のときが就職氷河期で「大企業には入れなくて、こころならずも中小企業に就職した」なんて思っている人たちは、身軽さと気楽さという意味で、それは逆にチャンスなのだと思ったほうがいい。めまぐるしく世の中が動く大変化の時代には、一つのことに縛られず、柔軟性を持ってしなやかに生きるほうがリスクは小さいのだ。(P.189)

結局就職は決まらず元のバイト先に戻って、25歳までフリーターとして過ごした。さすがにこのままフリーターではまずいと思って、長年勤めたバイト先を辞めて、仕事を探そうとしたが不況の上に、自分の望む職種は「実務経験何年以上」という条件付きの求人ばかりだった。

だんだん無気力になって自宅で過ごすことが多くなった。当時ニートとかひきこもりという言葉はなかった(もしくは普及していなかった)けれど、あれは確実にニート生活であり、絶望的なひきこもり生活だった。

「時代の変わり目」を」生きるためにいちばん重要なのは、「古い価値観」に過剰適応しないことである。そのことに自覚的かつ意識的であってほしい。どんな変化であれ、それが天災や事故のような突然の打撃ではなく、ゆっくりと皆に訪れるものなら、それは「荒波に飛び込む」ようなものではなく「雨の日に自転車に乗る」くらいのことなのだ。すでにそちらの世界で軽やかにやっている人もいるごく普通のもうひとつの世界なのだ。しかし「古い価値観」に過剰適応してしまった人にはそうは思えない。「はじめの一歩」を踏み出す前に身体がすくんで、新しいことへの挑戦を自分の心が縛ってしまう。その呪縛をできるだけ若いうちに解いてほしいと思うのである。(P.199)

ネット麻雀に嵌ったニート・ひきこもり時代

その頃からようやくネットが日本で普及し始めた。僕は麻雀が好きだった。創成期のネット麻雀にはまった。昼となく夜となくネット麻雀に没頭した。当時、2ちゃんねるの麻雀板では「ネット麻雀は本当の麻雀か? ネットでの実力はリアル麻雀に反映されるのか?」みたいなことでネット支持派とリアル支持派で壮絶な議論が戦わされていた。

ネット麻雀が普及するにしたがい、地方の田舎で仲間内だけで麻雀を打って勝ち組だった自分が、全国レベルで比べるといかに井の中の蛙だったことを思い知らされた。強い相手を探し、チャットで交流を重ね、オフ会にも出席した。プロレベルの人と友人にもなった。ネット麻雀のおかげで自分の麻雀の実力はメキメキと上がった。

ネット上にできた「学習の高速道路」は、リアル世界での物理的な「距離」ゆえのハンディをなくしてしまった。「対象をどれだけ好きなのか」「対象にどれだけ没頭できるのか」というじつにシンプルな競争原理が誰の前にも敷かれ、やる気のある人ならどこまでも伸びていける自由な環境が生まれたのである。(P.89)

それまで実力が数値化されることのなかった麻雀の世界が、ネットの出現によって、プログラミングできる人が作った打ち方を解析するフリーソフトが広まり、客観的に自分の打ち方を研究することもできるようになった。まさにオープンソースの世界だった。

やがて自分のネット麻雀の経験を表現したいという思いが強くなった。独学でHTMLやCSSを学びホームページを作った。たしかまだグーグルもブログもなかった頃だった。ネットを通して新しい表現方法の楽しさやネットを経由した新しい人間関係に一喜一憂していた。

NPO時代

しかしネット麻雀だけをしている日々に焦りも感じていた。もう20代後半なのに無職で職務経歴もない。将来にはっきりとした不安を感じ、ひきこもり支援のNPOの門をひきこもり当事者として叩いた。

やがてリアルで落ち切っていたコミュニケーション能力を、徐々に取り戻し始め、なりゆきでひきこもり支援のNPOスタッフになっていた。すべてネットがきっかけとなって僕の人生は駆動していた。

ふたたび失業、そして鬱病フリーランスの世界へ

NPOでの事業は一年間で頓挫した。再び僕は職のない生活に逆戻りし、当時つきあっていた地方公務員の彼女とも別れた。失業と失恋が重なって重度の鬱病にかかり、しばらくネットどころかテレビも見ることのできない生活が続いた。調子が上がった時に無理をして零細のIT関連企業に就職して、サーバの運営・管理・顧客対応・コーディングを任されたが、体調が悪化して長くは勤めることができなかった。

そしてフリーランスの世界へ

もう企業に就職するのは無理だった。伝手を頼ってフリーランスで活躍している人を紹介してもらい、HTMLコーダーとして自宅でぼちぼち仕事ができるようになった。ネット麻雀に嵌ってホームページを作った経験がここで活きた。今はまた体調が落ちて休職中だけど、今後もフリーランスとしてウェブの世界にどっぷり浸かってサバイバルしていくつもりだ。

たとえば「スモールビジネスを作る」のと「ベンチャーを起す」のはぜんぜん違うことだ。後者は大きな決心と責任を伴う「期限付きで挑戦するビジネスゲーム」である。スモールビジネスは、事業の成長も創業者や経営者のライフスタイル次第だし、先行投資は利益の範囲で好きなだけやればいい。極端な話、別に成長を目指さなくたっていい。(P.219-220)

ウェブ時代をゆく』がそんな自分をとても勇気づけてくれた。

もともとブログは、ウェブログ(ウェブの記録)を語源としており、「ネット上で面白かったサイトにリンクを張りつつ感想を書く」ことをルーツに発展してきた。サイトに限らず、人や本やニュースなどの情報との出合いの中で感じる「面白かった」という直感こそが、ロールモデル思考の発端である「自分の波長の合う信号を探す」ことに他ならない。それをブログで記録し続けることは、ロールモデル引き出しを増やしていくことになる。同時にそれが志向性を同じくする人々と出会う可能性を高め、そのネット上での交流がまたロールモデルの引き出しを増やす循環を作り出し得る。(P.137)

ウェブ時代をゆく ─いかに働き、いかに学ぶか (ちくま新書)

ウェブ時代をゆく ─いかに働き、いかに学ぶか (ちくま新書)