前のめりの時間意識

年金問題がおおきな関心をあつめている。満ちたりた老年。未確定な未来をいかに効率的に、また合理的に蓋然性を高めるかに多くの人がやっきになっている。人生は一本のラインのようにイメージされ、つぎの瞬間のことばかり考える生活態度。現在は未来の幸福ために費やされ、老後は過去から蓄えてきた財によりかかって生きる。どちらにも現在の充足というものはない。働いていても働いていなくても、いまここにある生は輝かない。こういった現在というものが別の時間のためにあるという価値観を、鷲田清一氏は『だれのための仕事』のなかで「前のめりの時間意識」と名づけている。

このようにして、生活にたいするわたしたちのかまえは、総体として前方に傾いている。経済や科学も、政治意識や生活世界における道徳的感受性(エートス)も、そしてメディアが流通させるファッション・イメージも、未来のはじまりとしての現在の意識、proという<前のめり>の意識に深く浸透されているのである。

自己は未来のための途上にあるものとして立ち現れる。未来が思い描けないとき、現在は瓦解し不安の渦のなかにすいこまれていくか、必然性が欠如した空想的な未来の虜となり、自己は抽象的な領域をさまよう。強迫観念的であり、神経症的である。