言葉にできない何か、という感覚

夕暮れ時の嵯峨野線

二週間に一度通院し、ケースワーカーさんと一時間近く話をして、主治医に簡単な病状を説明していつも通りの薬を処方される日々。問題は、ケースワーカーといったいどんな課題を共有していけばいいのかという話。

とりあえず、不安要素としては「うつ病がいつ完治するのか?」ということなのだが、これは具体性に欠ける。で、自分にはうつ病について話を深い部分で共有できる友人がいる。しかし深い繋がりだけというのもしんどいもので、それ以外にうつ病の理解はないけれども気楽に、もしくは適度な緊張感を前提にコミュニケーションが取れる友人知人もいる。仕事関係では師匠がいる。

こういった多様な、もしくは重層的な人間関係は精神的な安定にとても大切で、じっさい病に対して効果があるし、自分は人間関係に恵まれているほうだと思う。孤独な時間も満喫しているし、とりたてて不満はない。

では、いったい問題はなんなのか? 病は治って欲しい。それは確かだ。しかし同時に病が治ったその先に対しての不安がある。病が治れば僕は師匠のように人並みに働けるようになるだろう。しかしそれをどこかで恐れている。コーディングの仕事は今まで経験してきたなかで最も自分に合っているし没頭もできる。が、この仕事を続けるにはスキルの幅を広げ続ける必要もある。

ゴールがない。そう。ゴールが見えないマラソンを走るようなものだ。もしくは逆説的に考えると、いつ来るかわからない電車をじっと待っているいるようなものだ。

「本当に病の完治を望んでいるのか?」自分にそう問いかけると、微妙な心境になる。治したい。いやしかし治った先に何が待っているのか? 今は好きな事を好きなだけして時間をすごしている。完治したあとはどうなるんだろう。またあの時間の奴隷になるのだろうか? いや、仕事に充実感を抱いてがむしゃらにやっていくのだろうか?

そのあたりがどうしても予測がつかない。そもそも予測不可能なのだろう。だったらケースワーカーに何と言って具体的な課題の共有を計ればいいのだろう? 真っ暗闇ならそれもいい。真っ青に晴れ渡っているのならそれでもいい。しかし、何かが霞みがかっている。ひょっとして僕は霞を食って生きているのだろうか?

秒速5センチメートル 通常版 [DVD]

秒速5センチメートル 通常版 [DVD]

インスパイアされた作品。