変革することを目指すことによる鈍化現象について

その次は、大学の話になり、「変革」という名の下に行なわれている「鈍化」について、おきまりの愚痴を言い合った。

「よくも、これほどの頭脳集団を見殺しにできるものだと思います」と彼女は言った。
「見殺しというのは、いささか当たっていない気もします。見殺しにすれば、それはそれで本当の改革になる。少なくとも変革は成し遂げられるでしょう。それが自分の身に振りかかるのが恐い。見殺しにされたくない、だから、みんなこんなに必死になって、おかしな方向へ、それと知りながらも、自分たちを無理に変えようとしてきたのではないか、そう思いますけどね」
「ああ、それでは、飼い殺し、と言った方が良いですね」
「うん、しかも、その飼い殺しを、自分たち自身から手を挙げて、我さきに争ってやろうとしている、という図式だね。自分たちの立場を守りたい、死ぬまでちゃんと飼っていてほしい、という懇願を、あの手この手で形を変え、名前を変え、文部科学省に申請しているのですよ」
「ああ、本当に……」彼女は溜息をついた。(P.104-105)

プレカリアートワーキングプア格差社会という言葉が連想される。はたしてそれらにまつわる積極的な働きかけはプラスに働くのだろうか?

少し変わった子あります

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