働いても食べていけない - 湯浅誠氏が語る貧乏と貧困の決定的違い

http://www.nhk.or.jp/heart-net/fnet/info/0712/71219.html

生活困窮者をサポートするNPO法人事務局長の湯浅誠さん。現代の「貧困」は、社会に“溜め”がなくなったことによるという。教育、企業の福利厚生、家族の支え、公的な支援など、人を外界の衝撃から守るために必要な“バリアのようなもの”が得られなくなった結果、多くの人が貧困を自己責任と考え、自己否定に落ち込んでいくという。番組では現代の「貧困」の現実を正しく知り、一歩踏み出すために必要なことを湯浅さんと共に考える。

今日、午後1時20分から再放送ですが、見ていないプレカリアートな人は必見ですよー。「貧乏」と「貧困」の決定的な差とは何か? とか、刺激的なインタビュー番組です。

追記 - 番組内容を勝手に要約

NPO法人自立生活サポートセンター・もやい」(東京 飯田橋)の事務局長湯浅誠さんの活動紹介とインタビュー。活動のきっかけは12年前、ホームレスの人の支援に関わった事。現代の貧困をテーマにした著作も発表。生活が立ちいかなるほどの貧しさが若い世代にまで広がっている事の深刻さを訴えている。

貧困に苦しむ人々が抱える様々な問題を解決するため、法律や福祉、労働問題の専門家とのネットワーク作りにも力を入れている。→反貧困ネットワーク

お化けのヒンキー

「反─貧困」。貧困をなくそう。反・貧困のキャラクターはお化けのヒンキー。なぜお化けか? 貧困というのは、あるのにないと思われているから。つまり「ある」と「ない」の間にあるから。いるんだけど見えない。

ヒンキーには物語があって、世の中の人がみんな無関心だとヒンキーは怒って、どんどん大きくなっちゃう。みんながヒンキーのことをあれこれ気遣って、どうするかとあの手この手と手を打つと、安心してヒンキーは成仏できる。だから貧困に関心を持ってほしいというメッセージがヒンキーに込められている。→反貧困資料室(はてなダイアリー)

拡大する貧困層

自分とは関係のない世界だと思っていた貧困。ところが日本社会全体に貧困が広がっていくなかで、気づいたらすぐ後ろに、身近にせまってきてたというのが、ここ1、2年の印象。貧困が深刻化している。生活がなりたたなくなった人の相談に乗っているが、世代も男女も家族も個人も、どんな人が来ても驚かなくなった。

貧困とは国の公式の定義で言うと、収入が生活保護基準以下の生活状態にある人。この人たちがどれくらいいるか実は国は調査していないのでよくわからない。ただこの前の国勢調査によると、年収200万未満の給与所得者が1023万人。全世帯のうち所得の低い方から20%の世帯の平均年収は129万円だから月収10万ちょっと。つまり5人に1人はそういう生活をしている。

貯金があれば、それを取り崩して生活できるが、金融広報委員会(金融広報中央委員会のことか?)の調べによると、貯蓄のない世帯が急増していて、20年前の4.5倍に増えている。収入がない。貯蓄がない。食事を3回から2回にまたは1回に、病院に行きたくても行けない。服を寒いけど買えない。ストーブをつけたいけどつけない。そういう生活でなんとか持ちこたえている、ぎりぎりのその日暮らしの人が増えている。

働いている人の3人に1人は非正規雇用労働者。数にすると1670万人いる。若い人に焦点を当てると非正規雇用が5割を超えている。つまり若い人は2人に1人以上は非正規で働いている。これが今の貧困問題の大きな要因の一つになっている。

働いていれば食べていけるというのは神話にすぎない。働いていても食べていけないという状態はありえる。働いていても月収が10万や8万や6万だと食べていけない。日本社会は働いていれば食べていけるはずだというという神話がずっと続いていたし今でも続いているが、実際にはそうではない人がジワジワ増えている。これがいわゆるワーキングプアの問題。貧困層の問題。

フリーター受難の時代

派遣も労働者派遣法ができた時は、非常に限られた職種で、高いスキルを持った人たちが、色んな所を渡り歩く働き方ができるための法律だったが、今はあれよあれよという間に無制限に対象職種が広がっていって、いいように使われる、いつでも切られる、細切れの雇用形態となって、意味が完全に変わってきている。

高度経済成長期なら、がんばって、地道に働いていけば、そのうち立場も給料も上がってなんとかなると思われていたし実際そうだったが、今の若い人はそういう幻想を持てなくなっている。まじめに働いても5年で時給が50円程度しか上がらない、昇格もない、そんな社会で、そんな職場で、どうやって頑張れるんだと少なからずの人が感じている。

貧困者の共通点「溜(た)めがない」=貧困

金銭の「溜め」 しばらくは生活に困らないだけの貯金がある
人間関係の「溜め」 困ったときに頼れる親や親戚、友人がいる
精神の「溜め」 難しい局面に立たされても自分には問題を解決する力があると思う

これらの「溜め」がない人が貧困者。貯蓄がないからじっくり仕事を選ぶことができず、頼れる人もおらず、精神的に追い詰められて、頑張る気力がそぎ落とされて、「おまえは社会からいらないんだ」というメッセージを受け取ってしまっている。

お金がないけど頑張れるんだという人は、別の溜めを持っている人が言えることで、気力のなくなった人に「がんばれ」と言っても実効性がない。意味がない。「がんばれ」と言ってがんばれるんだったら貧困問題はここまで深刻にならない

選択肢がない

ネットカフェ難民のような非正規で日払いの仕事をしているくらいなら、常勤雇用の仕事に就けばいいじゃないかと言われるが、お金の溜めがない人は、最初の給料が出るまでの生活が持たないので、常用の仕事に就くという選択はあり得ない。明日食べるお金が必要な人にとって合理的な選択は日払いの仕事に就くことであって、そうでなければ生きていけない。

貧困と貧乏は違う

貧困と貧乏は違う。貧乏だけど幸せな人は世の中にはたくさんいる。現金収入がすくないけれど、地域の家族がいて、地域の人とのつながりがあってワイワイ暮らしている。

しかし、貧困というのはお金がないことはもちろんのこと、そういう人間関係も失い、精神的にもがんばれないところまで追い詰められている状態。貧困でも幸せな人は定義上いない。貧乏と貧困は区別して使ったほうが良い

切り下げでなく底上げを

生活保護制度に大きな負担がかかっていることは事実。しかし生活保護基準の切り下げは本末転倒。やらなければならないことは生活保護を受けなくても生きていける社会にしていかないといけない。生活保護に落ち込む前のセーフティネットがぼろぼろになっている。孤立を防ぐ、正しい情報を受け取れることは少なからない意味を持っている。